市民対談3

鍵本 景子 × 足立 隆子 × 水口かずえ

 

子育てを応援

子どもたちが自由に遊び、

育児で孤立しないまちに。



鍵本景子さん

俳優、一人の子の母、どんぐりの会会員、会が小平中央公園東側の林で年2回開催する幻燈会で朗読を担当する 

足立隆子さん

小川町、NPO法人こだいら自由遊びの会理事長、NPO法人日本プレイセンター協会副理事長、五人の子の母


 

林を好きになった、林を知りたくなった

プレーパークとの出会い

 

水口 きょうは、子育ての大先輩でもある足立さんに、かかわっていらっしゃるプレーパークやプレイセンターのことをうかがいたいと思っていますが、私に足立さんを紹介してくださったのが鍵本さんでした。そもそも鍵本さんが足立さんと出会ったのは?

鍵本 林なんですよ。子どもが1歳くらいのとき、小平中央公園東側の雑木林のそばを通ったら、林の中でわいわい遊んでる子どもたち、おとなたちがいて。なんだろうって思ったんですが、それが足立さんたち「こだいら自由遊びの会」のプレーパークだったんです。

私、小平に3歳から住んでいて6歳から鷹の台に住んでます。中央公園の前身蚕研究所跡地のころから、あの場所で遊んでいました。でもそれほど林の記憶はなかった。だから、こうやって林で遊べるんだ、楽しいんだって、ちょっと驚いたんですね。そして自分がかかわるようになってからは、どんどん林を好きになって、小平っていいなって心から思えるようになりました。水口さんと知り合ったのも、林をめぐってでしたよね。

水口 そうでした。あの雑木林を通る大きな都市計画道路の計画があると知って、いろいろな方と話をするようになって鍵本さんとも親しくなって。みんなで林をもっとよく知ろう、林に来ていろんなことを感じて欲しいと「どんぐりの会」をつくったのが9年ほど前。そして林での子どもの遊びを大切にしてる人がいるよって、紹介していただいたのが足立さんです。

 

自由で大胆な遊びから

子どもたちの可能性が広がる

 

水口 足立さんは親子の育ち合いにかかわるいろいろな活動をされてますが、プレーパークとプレイセンターは同時に始められたんですか? 

足立 プレーパークが先ですね。もともと日本のプレーパークは世田谷と国分寺が草分けです。世田谷では1979年の国際児童年をきっかけに、冒険遊び場活動をしていた方たちが中心になって働きかけ、区と住民の協働でプレーパーク事業が始まっています。国分寺は、ある財団が出資し、住民が取り組んで始まって、のちにNPO法人になります。

小平にも子どもたちが自由に遊ぶ、自主的に楽しいことを見つける場であるプレーパークがほしいと「自由遊びの会」をつくったのが1998年です。子どもキャンプ場で冒険遊び場を開いたり、冒険キャンプをしたり、雑木林でプレーパークをしたりという活動を続けています。

水口 私も、プレーパークは見たり、参加したりしてます。お母さんに連れらた小さい子から中・高生、大学生くらいまでやってきて、鬼ごっこのような遊びから、林なら大きな穴を掘って飛び越えたり、木からつるしたロープをブランコにしたり、キャンプ場ではたき火をしたり、少々危なく見えるほどの大胆な遊びまでやってる。子どもたちがやりたい遊びをどんどん作って、遊びに詳しいおとなが手を貸し、見守る中でいろいろやって、ほんとうに楽しそうです。

足立 そういう中で、感じる力や考える力、自分がどういう行動をするかといった力が育まれていく、子どもたちの可能性が広がっていくと思うんですよ。

 

平和教育を大事にし

多様性を尊重する幼児教育

 

水口 そしてプレーパークと並行して、プレイセンターを始められた?

足立 ええ。プレイセンターは、より子育て支援というか、子どもと一緒に親も育っていく実践という面が大きいんです。ニュージーランドが発祥で、日本に伝えられたのは2000年。私はその最初の講習を受けて、これはいいな、小平に伝えたいなって思って2002年から始めました。

 ニュージーランドって農業国で、家を建てたりリフォームしたりを始め、なんでも自分たちの手で作るという国民性があります。世界で最初に女性参政権を認めた国でもある。そして第二次世界大戦で男性が軍隊にとられ、残された女性たちが畑仕事をするために、共同で保育をするという経験から、子どものころからの平和教育を大事にするという教育の流れがある。また一方では、英国の植民地政策とそれに対する先住民のマオリの人たちの反乱の歴史も長くあって、それに対する反省から、多民族、あるいは多様性を非常に尊重しています。

こうしたさまざまな事柄の上に、とてもいい幼児教育が確立された。それがプレイセンターです。目指すところは、一言でいえば「子育てを楽しみながら、家族が一緒に成長する」ということなんですが。

 

孤独な子育てがなくなる時間から

子育てが変わる、地域が変わる

 

鍵本 私、プレーパークに参加して、そしてプレイセンターに通ったんですね。そうすると、うちは一人っ子ですが遊びの中で年上の子に世話をしてもらったり、下の子の世話をしたりという関係が自然にできてくるようになったし、何よりよかったと思うのは、孤独な子育てではなくなるということなんです。

水口 親にとっても、いいと。

鍵本 そうです。プレイセンターは基本は子どもたちの遊びをつくるんですけど、月に1回、参加した親が学び合いをする時間があるんです。その時間、子どもたちはほかの部屋で保育してもらっています。子育て中って常に子どもがいて、なかなか自分のことを振り返る時間がないけれど、学び合いでは自分の状況を吐露したり、みんなに聞いてもらうことができる。おとなだけで話す時間をもつことで、ほっとするし、問題解決の糸口がつかめるし、信頼関係ができていくんです。

足立 そういう信頼関係がある中で子どもが育つから、子どもにはすごくいい。そして、親たちにとってもいい。親たちによる自主運営ですから、「子育てサービスを受けています」という受け身のかかわりではなく、自分たちで子どものめんどうをみていく、自分の子もよその子も平等に育てていくという育児になります。そうすると、エンパワーといいますが、親として力がついていく。子育てが変わるし、自分たちの地域をよくしたいという意識が育つので、鍵本さんもそうですが、みんな主体的に地域にかかわるようになる。

水口 本当の意味での子育て支援がプレイセンターにはあるわけですね。

足立 そうなの。だからもっと公的なものとして、市の事業として取り組んでもらえば、結果として小平市の底上げになると思います。

水口 小平の子どもたち、みんなの幸福につながりますね。

 

市の事業として常設型の

プレーパーク、プレイセンターを

 

鍵本 今は、NPOとかボランティアという形でやってますから、ほんとに運営がたいへんなんです。プレーパークにしても、月1回やるだけでも用具もたくさんあるし、しまっておく場所も必要だし、用具を運ぶ手段、人手もいるし。

水口 ほんと、みんなががんばって続けてらっしゃる。

足立 ただ、住民だけでは現状維持が精いっぱい。小平は、今までの市長さんが「私はプレーパークのこと、よくわかってます」って、いかにも積極的にやるようにいいながら、結局「きつねっぱら公園」というプレーパークをやってもいい公園が一つできてそれで終わりになってます。けれど、必要なのは常設の、プレーリーダーがいて、小屋もある、そういうプレーパークです。それを市の事業としてやってほしい。

 市の事業として常設のプレーパーク、プレイセンターができれば、そこが昔からある助け合いの良さの拠点にもなります。

水口 これまではなかなか参加できなかったおうちの子たちも参加できるでしょうし、むしろ行き場のない子たちの居場所にもなりますね。

足立 そう思います。

水口 子どもの権利条例はじめ、小平の子どもたちや子育てへの施策の課題はたくさんありますが「遊び」をキーワードにして、もっと多くの子どもたち、多くの親たちが参加できる仕組みを考えたいですね。

足立 ええ。遊びってすばらしいことで、遊ぶことからいろんなことを子どもたちは学び、親は子どもから学ぶところがたくさんあります。子どもの遊びを充実させることを、しっかり考えてほしいと思います。